わらべ歌…たらこたらこ(なわ跳びうた)

『葛の葉きつね』

 

 関西地方から伝えられたという〝縄跳び童歌(わらべうた)〟の「たらこたらこ」が当地にも伝えられております。このわらべ歌には、民話が語られております。民話は、「葛の葉きつね」で、関西地方の民話ですが、当地でも語られてきました。当地の「葛の葉きつね」では、「信太の森・・・」が「篠田の森・・・」に変わって伝えられています。ご年配の方は歌い遊んだことと思いますが、今では歌う方も少なくなりました。後世に伝えていきたいわらべ歌ではないでしょうか。

  たらこ たらこ

  篠田(信太)の森の たらこ狐

  いまきて まわしょ

  一かい 二かい 三かい

  四かい 五かい 六かい

  七かい 八かい 九かい 十かい

  十(とう)までとんだら かわりましょう

   「森のできごと」

 むかし、摂津の国(大阪府)に、安倍保名(あべのやすな)というさむらいがいました。思いやりのある心のやさしいさむらいでした。

 ある秋のこと、保名は、五、六人のけらいたちをつれて、和泉の国(大阪府)にある、信太(しのだ)の森にまつられている、信太明神へお参りに行きました。秋とはいっても、あたたかい日のことで、森の道はもずが鳴きかわし、足元には落ち葉がきらきらと、やすみなくちりしきっていました。「さて、お参りもすんだから、このあたりで、もみじをながめながら、楽しもうではないか。」「かしこまりました。」と、一行は、ききょうの咲きみだれた森の中に幕をはりました。

どちらをながめても赤く黄色く、もみじが色どっていて、実に美しい景色です。保名たちは、あたりの景色をほめながら、酒もりをはじめました。

しばらくすぎたころ、にわかに、わあわあというさけび声がおこって、声に追われながら一匹の白いきつねが、幕の中に逃げ込んできました。きつねは、後ろ足のあいだにしっぽをまきこんで、おびえきっています。隠れる場所はないかと、幕の中を二、三回かけめぐりましたが、ついに保名のひざの上にとびあがって、身をすくめました。「よしよし。助けてつかわすぞ。」保名は、きつねをかかえて、うしろにおいてある、物入れのかごのなかにかくしてやりました。まもなく、弓矢をふりあげた男達が、ひとかたまりになってやってくると、幕のすそをはねあげて、なかをのぞきました。ちかくで狩りがあるらしく、けものをおいだす勢子(せこ)とよばれている人たちです。勢子たちは息をはずませて、保名にたずねました。「今、ここへ、きつねが逃げこんだはずだ。」保名はきっぱりとこたえました。「きつねなどは来ぬ。」「来ぬはずはない。ここまで追い込んだのだ。みなの者、幕の中をさがせ。」

勢子たちがどかどかっと、幕の中にふみこんできました。保名は、たちあがってさけびました。「ぶれい者め、つまみだせ。」保名の声に、けらいたちが勢子たちのむれにおどりこみました。たちまち、はげしいあらそいがはじまった勢子たちはほうりだされると、落ち葉をあびながら森の外へにげていきました。

保名はかごからきつねをだきあげました。「さあ、安全なところへ立ち去れ。」きつねはうれしそうに、しっぽをふると、幕のすきまから、信太の森の奥へすっとんでにげていきました。保名は、楽しいもみじ見物が、勢子たちにみだされたので、つまらなくなりました。「そろそろ、かえろうではないか。」と、幕などをかたづけさせていると、ひとりのさむらいが、百人ほどの勢子をひきつれ、顔色をかえて、馬でのりこんできました。石川恒平(いしかわつねひら)というさむらいです。「わしの狩りのじゃまをするとは、ゆるせぬ。ものども、こいつらを討ち取れっ。」

と、いきなり、保名たちの正面から馬をおどりこませてきました。勢子(せこ)たちもどっと討ちかかってきました。保名は困りました。静かな秋の森で、切りあいなどはしたくありません。けれども、しかたなく、刀をぬいて、むらがる勢子たちのなかへ切り込みました。味方は五、六人、敵は百人あまりもひしめいています。

まもなく、保名も、けらいたちもきずついて、石川恒平の前にしばられてつきだされました。「そやつらのくびをはねとばしてしまえ。」恒平の太い叫び声が、森にひびきました。そのとき、どこからあらわれたのか、まゆ毛も、あごひげもまっしろい、年をとった坊さんが、恒平の前に立ちました。「まてまて。わしは藤井寺(ふじいでら)の頼範(らいはん)じゃ。」「おお、これは、和尚さま。」恒平は馬からおりてあいさつをしました。

藤井寺は、恒平の祖先からのお墓がまつられてあるお寺です。「恒平ども、もみじ見物にこられたお人にむごいことをなさってはならぬ。ゆるしてあげなさい。」和尚さまの言葉を、ことわるわけにはいきません。恒平は、保名たちを和尚さまにひきわたすと、勢子たちをしたがえて、馬の上にふんぞりかえってたちさりました。保名たちは和尚さまに礼をいって、さげた頭をあげました。

すると、和尚さまの姿がありません。

一ぴきの白ぎつねが、すすきをかきわけながら、とおく走り去っていくのが、見えるばかりでした。

「さては、あの白ぎつねが、和尚さまにばけて、わたしたちをすくってくれたのか。」保名たちは、ふしぎなこともあるものだ、と思いながら、きつねのうしろすがたを見送っていました。

 

『白いしっぽ』

そのかえり道、あちらこちらにうけた刀傷が、ずきずきといたみ、はげしい争いに、口の中も乾いてきた保名は、「どこかに水でもないか。」と、さがすと、谷底に流れが見えました。おりていくと、ひとりの娘が大木の陰で、洗濯をしていました。娘は、保名のうでからふきだしている血しおを見ると、走りよってきました。「まあ、おさむらいさま。たいへんなお怪我でございます。私の家はこの近くでございますから、しばらくおやすみくださって、傷のおてあてをなさいませ。」保名も疲れきっていたので、言われるままに娘の家に案内されて、傷のてあてをうけました。

けれども、うごくと、またも血がふきだしてくるので、しかたなく、二、三日娘の家に泊まっていると、傷口もどうやらふさがって、起き上がれるようになりました。保名は両手をついて、娘に礼をいいました。「ご親切なおてあてをしていただいて、傷も治りました。あなたのお名前はなんとおっしゃるのですか。」「はい。くずの葉ともうします。」「わたくしには、あなたのご親切がわすれられませぬ。よろしかったら、わたくしは、まだひとり者。嫁になってくださらぬか。わたしは、血なまぐさいさむらいのくらしが、つくづくいやになりました。この家で、静かに畑しごとなどして、一生おわりたいとおもうのですが・・・」くずの葉はよろこびました。「あなたさまのおけがは、まだすっかりなおってはおりません。どうぞ、おそばにおいて、かんびょうさせてくださいませ。」こうして、二人は夫婦になりました。なにをさせても、くずの葉は、親切できがきいているので、保名はすっかり気に入りました。一年、二年と、日は過ぎて、三年目に、くずの葉はかわいい男の子を生みました。名前は安倍童子(あべのどうじ)とつけました。

 ある夏の日のこと。童子が遊びつかれて家にもどると、おかあさんのくずの葉が、はたおり台の上に顔をのせて、昼寝をしているのでした。ところがなんと、きもののすそから、白いしっぽがはみでているのです。童子は、おどろいてさけびました。「あっ。おかあさんに、しっぽがはえている。白いしっぽがある。」その声に、くずの葉は、はねおきました。あわてて、しっぽをかくしました。けれども童子は、なおも指さして、さけんでいます。「おかあさんにしっぽがある。しっぽがある。」

実は、このくずの葉は、むかし信太の森で保名に助けられた、あのきつねだったのです。くずの葉は、しばらく、うらめしそうに童子の顔を見つめていましたが、まもなく立ち上がると、すずりを持ってきました。そして、障子に、さらさらと歌を書きつけました。

 

"こいしくば  たずねきてみよ和泉なる  信太の森のうらみくずの葉"

 

 

わたしは、信太の森の白ぎつねです。わたしのことがこいしくなったら、和泉の国の信太の森へたずねてきてください、という意味の歌です。書き終わると、かがやくばかりの美しい白ぎつねとなって、きらきらと谷川の上の方へ走っていきました。まもなく、畑から帰った保名は、童子の話を聞き、障子の歌を読んで悲しみました。そして、「おかあさんにあいたい。」と、ないてさわぐ童子を連れて、すぐに信太の森へでかけました。森につくと、くずの葉が、きつねの姿であらわれました。そして、保名に黄金の箱と水晶の玉をさしだしていいました。「この箱の中には、竜宮のふしぎなお札が入っております。お札を見れば、天のことも地のことも、人の命や世の中のことも、よくわかります。またこの水晶の玉を耳にあてれば、鳥や、けものや、草木の言葉もわかります。童子が大きくなりましたら、どうぞこのふたつの、かたみの品をおわたしください。」くずの葉ぎつねはこういいのこすと、いくどもふりかえりながら、草むらに姿をけしました。やがて童子はすくすくと大きく育って、安倍清明(あべのせいめい)と名をかえました。そして、一条天皇につかえて、こよみや、うらないなどにくわしい、名高い天文学者になりました。