『稚児が淵』

今から九百年あまり前の話。

古越路の倉見沢に、黒仁田城という城があり、朝日がたいそうよくさすので、朝日長者と呼ばれていました。また、勢が窪の山の上に仙賀城という城がありました。この城には夕陽がよくさすので夕日長者と呼ばれていました。 

 さて、朝日長者には朝日丸という息子がおり、夕日長者には於並(おなみ)という娘がおりました。朝日丸と於並は、両親にも村人にもたいそう可愛がられ育てられておりました。そして、朝日丸は十七歳、立派な若者になりました。於並は十六歳、やさしい美しい娘になりました。

「朝日丸様は、立派になられたなあ」

「於並様は、優しくて、なんと美しいことかねえ」

「あの二人、お似合いだ。村を立派に守ってくれるよ」

村人たちは、お二人の成長を楽しみにしておりました。噂どおり、二人は小さい時から仲良しで、夫婦になろうと約束していました。ところが、二人の父親は兄弟なのに、どうしたことか、仲たがいをしてしまっているのです。「なに、夫婦になる、とんでもねえ」

「これからは、けえして会ってはなんねえ」

それは、それは、がんとして許しませんでした。やっと城を抜け出すことができた二人は、「あの世で一緒になろう」と手を取り合って、崖下の淵へ身を投げてしまいました。

 二人の親たちは、我が子はどこかと八方に人を出して探しましたが見つかりません。

気も狂わんばかりに、山を谷をいばらの野を探しまわりました。村人に会えば、「我が子をどこに押し隠した!」と襲いかかりました。とうとう大蛇になって、峰々を渡り、田畑を荒らし荒れ狂ったのです。

 村の人たちは、大蛇になって峰々を渡り歩いた親の心を鎮めてやろうと、「根渡権現」を祀り供養

しました。その後は、二度と大蛇は現れなかったと言われています。

 また、願成寺の和尚様は、朝日丸と於並の霊を釈迦堂のそばに祀り供養したとのことです。

※長者伝説のひとつで、赤見町の長者伝説と似ている。豊代町の朝日長者と夕日長者は、唐澤城主十五代実綱の息子の太田別当行政と大川戸四郎行光(後に葛生氏)であると常盤郷土史に記されている。


※根渡権現は、仙波町(岩崎)にある三騎神社に合祀されている。