『三地蔵(三人の兄弟地蔵)

 

昔、あるところに、三人の兄弟が住んでいました。三人の名は「太郎」「次郎」「三郎」といい、三人は仲良く暮らしていました。

あるとき、毎日の暮らしにもの足らず、三人は旅に出ることにしました。三人が訪れた土地は牧から氷室の沢です。

この三人はそれぞれ、旅先の地元の人々と親しくなり、それらの土地の人々にお世話になったりし、その土地の人たちのためにも尽くしました。三人は、牧と氷室の別々の地域に住みましたが、時々会っては助け合ったりしていました。この三人の兄弟のことは、地域でも知られるようになりました。

 こうして、この三人の兄弟は、それぞれの居心地のよい土地に住むようになり、地域の人たちにもかわいがられて暮らしました。三人の行いは、地域の人たちにも感謝されました。三人それぞれ、歳をとってそれぞれの土地で亡くなりましたが、その土地の生まれ育ちでないことから、亡くなった時はその土地の人たちの手によって葬られ、お地蔵様が建てられました。

長男の『太郎地蔵』は、上牧町内の城龍院の入り口に安置されています。地域では「トウガラシ地蔵」とも呼ばれ、地蔵様にお願い事をして、願いがかなうと願主がトウガラシで首輪をつくり地蔵様にかけたことからこう呼ばれています。太郎地蔵は、高さ六十六センチ程の坐像で、右手に錫杖(しゃくじょう)を持っていたとうかがえますが、今はありません。左手には法珠をもっています。隣には五輪の塔が建っています。

また、地蔵様の位置はもとはこの地にあったのではなく、もとは塚の上にあったようですが、耕地整備や道路の拡幅などで現在の位置に移設され安置されたようです。

 二男の『次郎地蔵』は、水木町の広瀬包義さんの敷地内に祀られていましたが、現在は牧町に転居した広瀬包義さん宅の敷地内に移設され祀られています。次郎地蔵は、元は水木町桧内の井戸沢口の井戸窪に安置されていました。この地蔵様を広瀬家の先代が、自宅敷地内に移し祀りました。お参りするとご利益があるとのことから、誰とも言わずお団子などをお供えする方がいらっしゃったようです。一緒に建てられたものと思える五輪の塔の一部も一緒に移設され祀られています。

広瀬家では、この地蔵様の供養として、「日限(ひぎり)地蔵」と呼び、毎月一日、十五日には供物をしたり、時にはお掛けや帽子もつくってやっていたとのことです。

この地蔵様は、太郎地蔵よりやや小さく、高さ四十一センチほどで、太郎地蔵同様に、右手に錫杖(しゃくじょう)を持っていたとうかがえますが、今はありません。左手には法珠をもっています。

 三男の『三郎地蔵』は、同じ水木町の大田沢の入り口にあります。秋山川に架かる大田澤橋を渡ったところの水路の側に安置されています。塚状の上に安置され、傍らに五輪の塔の一部が安置されています。地域の方が赤い帽子とお掛けを取り付けています。土地の人や道行く人たちにとって、つい手を合わせたくなるような場所です。

大きさは、太郎地蔵や次郎地蔵より小さく、高さ二十八センチほどで、姿は合掌しています。

 なお、次郎地蔵、三郎地蔵の背中には、円光を通した跡があります。また、三地蔵とも、材質は安山岩で彫られた坐像です。

建立時期や作者など、時代を示すものはありませんが、『三地蔵』として地域に語り伝えられ紹介されています。

 

 一度、三体の地蔵様をお参りしてみるのもいかがでしょうか。